与太

軽音サークル員が好き勝手に書く連載

雑記

 授業と授業の間。どうにもやる気が起きないので久しぶりにブログを開いてみた。いくつかの記事を読み返した後、寒気がしたいくつかの文章を消して、案外読めるものもあるものだなと思った。このブログをやろうと思ったのは2年前、コロナでバンドもできず、バイトもなくなり、学校も再履修だけで暇してた頃にはじめた。誰かが書いてるのを見て楽しそうだなと思ったのがきっかけだった気もする。いくつか記事を読む限り自分の考えていることはほとんど変わっていないように思えた。太り、年を取り、なかなか進級できず、聞かなくなった音楽が増え、新たな音楽を知り、先輩はいなくなり、後輩が増えた。人の思考が変わるなんてものはよほどのことが起きない限りなかなか起きない。人は変わるものではなく、まだ知らなかった新たな一面が垣間見えただけなのだ。すべてを知った気になるのは傲慢である。反省してほしい。「よほどのことが起こったのでは?」という主張は都合が悪いので目をつむらせていただく。

 プライベートは充実の様相を見せつつある。ずっとバンドをしているし、彼女もできたし、常に何かしらやることがあり、何もしない時間が欲しい、などと贅沢な悩みを持つようになった。金はないが、ないなりに欲しいものも買えている。レポートはまだ再提出のお達しは来ないし、何ならギリギリに出したやつも何とかなってしまった。ほっとしている。

 相変わらず人見知りであるのは克服できそうにない。新入生には申し訳ないという気持ちすらあまり抱かなくなった。新歓も三回もやると他人任せにしたくもなる。今年は女子が多いようで今までとまた違った雰囲気があり、よりなんともやりづらい。あれだけ人がいれば一人ぐらい俺の趣味とかぶる子がいてくれてもよさそうだが、どうなのだろう。NFLにどんなラインナップが並ぶのか楽しみである。

 バンドができればとりあえずは幸せなのだ。

                                    タケチ

雑記

 ものを書きたいけど書きたいものが見つからないので困っています。張り合いのない日々が続きます。人に会う機会が増え、幾分かましですが。サボテンとユーチューブで気を紛らわせています。バイトが再開しました。バイトがある日は一日が有意義になる気がします。悪くないバイトを見つけたなと思います。エフェクターを買いました。定期的な消費は心を満たします。物欲は尽きません。10万円握りしめて街に繰り出したいところですが、破天荒にはなれません。あこがれはありますが。僕はテレビがなく、新聞がなく、ネットニュースもたまにしか見ないので超情報弱者です。ツイッターで流れるニュースがでかいです。逆にツイッターに流れてくるぐらいでかい出来事のことはよく考えます。みんな考えてるようなのもよく見ます。ナショナルジオグラフィックの作ったLA92という動画を見ようと思ってまだ見れていません。考えて、何も生みだしませんが。SNSで考えを伝えるのはとても難しいです。限られた文字数で自分の主張を伝えるのは無理だと思っています。どうしても軽い言葉に聞こえるし、見えてしまうと思います。そういう話は大学の食堂のテーブルを陣取って、だらだらとくだらないことを挟みながらしたいと思います。顔を合わせて、表情とか、呼吸を感じたいです。密が当たり前にあって、人を救っていたころが懐かしくて戻りたい。僕は常々古い考えかたの人だと思いますが。なんとなくSNS辞めたいなと思うこともありますが、流行りに置いて行かれるのが怖いようでしばらく手放せなさそうです。流行りといえば流行りの音楽に共感できませんでした。今はまっすぐな歌詞が人の心に響くんですかね。ひねってひねって困らせられるくらいのが好きな僕には少し違いますね。こんな文章にも、語らない主張が隠れてたりしたらいいなと思います。

 

 酒ばかり飲んでいた春が終わり、夏になりました。

回顧

 RADWIMPSがサブスクを解禁しました。人間開花は僕がラッドで初めて買ったアルバムです。そこからでたシングルとかアルバムは大体買いました。昔のアルバムはツタヤで買いました。学校で一番ラッドが好きだったのは僕だったと思います。うれしいです。近所で中古にも、レンタルにもなかったシングルの曲が聴けます。でも、スクールオブロックで2,3曲だけ解禁されたのを聞き逃すまいと急いで風呂に入って、イヤホンで聞いた曲。アルバムを再生した時のディスクを読み込むまでの数秒とか。あれは手元にサブスクがない時で。まだロックバンドなんて、オアシスもニルヴァーナも全然知らない頃で。

 それが懐かしくて、さみしくなりました。

                                   タケチ

コピーバンドをやる意味

「コピーなんて何の意味もないし、コピーバンドサークルなんて馴れ合いじゃないですか?」

 

毎年新歓期になると様々なサークルの質問箱にこのような質問が送られてくる。怖いですね。匿名の場で言うんじゃなくて私に対面して言ってほしい。ボロボロ泣きますよ。

 

結論から言うと、コピーバンドそのものに意味なんてないです。馴れ合いっちゃ馴れ合いです。強いて実質的な利点を挙げれば、そこから演奏技術の向上が見込めることくらい。まあでもそれは各々コピーして練習すればいいだけで、何十人も集まってやる必要はないかもしれない。

 

好きなバンドをコピーすることで、自分を含めメンバーはもちろん楽しめる。もしよろしければ、観客の方々に喜んで頂ければ…と言うくらい。それだけ。

 

楽しいだけです。コピーバンドなんて。楽しいだけ………

 

そう、楽しいんですよね、コピーバンド

 

匿名でコピーバンドサークルをディスってる99%の人達は、楽器始めたばかりの頃はコピーばかりしてたと思いますよ。上達に直結だし、なにより楽しいから。その楽しさ知ってるから、自分もやってたから、特定されないで済む匿名で馬鹿にしたくなるんじゃないですか?

 

中には本当にコピーなんてカス論者の方いるかもしれませんね、ずーっとオリジナルバンドで売れることだけを目標に頑張ってきた人とか。その人達にとっては、オリジナルが1番楽しい。私たちにとっては、コピーが身の丈に合っていて楽しい。これでいいんじゃないんですかね。

 

しかしながら、世の中にはレベルの低い場所を高みから見下ろすことで悦に浸る人が結構いるので、きっとその被害に遭いがちなのがコピーバンドサークルなんでしょうね。

 

どこの大学も程度は違えど同じようなもんです。その大学で一番、またはトップクラスに上手いサークルの人達はもちろん全員ではないにしても下に突っかかりたがる人がいる。関わってこないでほしいですね。折角めちゃくちゃ上手くて私も尊敬のあまりチップでも投げたい心持ちなのに、先手必勝と言わんばかりに石投げて来ないでください。泣きますよ。

 

楽しんでますか、バンド。私はコロナでブチギレそうです。助けてください。密です。

 

楽しければいいんです。楽しければ。異性からモテようって動機でバンド始めてもいいし(何年か続けてもそれがバンドのメインのモチベなら辞めたほうがいいよね、ってめちゃくちゃギター上手い友達が言ってたけど)。

 

また読む意味がない文を書いてしまいました。

 

状況が落ち着いたら、死ぬほどバンドしたいですね。合宿で10バンドとか組んでスタジオで死にたいですね。ご一緒にどうですか?grooveで待ってます。

 

段落ごとに、3行ソーシャルディスタンス。

 

しこ

「良い観客」である為に

昔からとてもあがり症である。
小さい頃お母さんに花を摘んで帰った時ですら緊張で顔が真っ赤になって目の前がクラクラした事をよく覚えている。
また緊張したり、人に見られていることをちょっとでも意識してしまうと途端に手の震えが止まらなくなる。

それが更に加速したのは中学生からだ。
所謂中学生のグループみたいなものでしばらく共に行動してたちょい悪君に「チラ見すんな」といった理由でグループからハブられ、一緒にいるやつからは「お前って何も面白いこと言えないな」と冗談半分で言われたが、たしかにな…と重く受け止めとにかく自信がなくなり対人場面での不安が大きくなった。

入っていたサッカー部では自分のところで奪われて点を決められるなど、責められるのが怖くてパスしか出さなくなった。チーム内で練習する時も「こいつはパスしか出さないぞ」と意地悪なチームメイトに大声で言われて、楽々抜けるスペースを与えられながらもパスしか出せなかった次第である。

そんなこんなでチームプレイが苦手になってしまい、個人競技を望んで高校で陸上を始めた。サッカー部時代ただガムシャラに走っていただけのこともありタイムも悪くなく、練習はみんなと喋りながら学校から遠くまで小旅行気分で走ったりと気楽で楽しかった。だけど勿論そんな緩いことばかりではなく競技である以上大会があった。

1人きりで競技場に立つと400mのトラックを取り囲むようにチームメイトはもちろん、他校の生徒や先生、観客など沢山の人が自分を含む数人しかいないトラックを見ている事に気付き途端に緊張した。走り出した瞬間も「どうやって今まで走っていたっけ?」と思う程に手と足が自分のものじゃないような感覚に陥り、「ダメだ。こんなに観られる場所は俺には無理だ」とも考え始めた。

しかし応援とはすごいものである。トラックの四方にチームメイトが散って通り過ぎるたびに大声で応援してくれるのだが、それがかなり力になり緊張を解し、回数を重ねる毎にいつしか陸上で見られることは苦じゃなくなった。苦い記憶になりかけていたサッカーも陸上部で練習後に有志で集まって遊びでやり始め、パスだけじゃなく抜くようにもなり、楽しい記憶で上書きされた。

とは言え人はそう簡単に根本が変わるわけではない。勿論未だにとても緊張はする。人以上に人の事を意識してしまっているからだと分かってはいるが、ライブでも少しでも見られていると意識してしまうと手が震える。ライブ後に「めちゃくちゃ手が震えてたね」と言われても「元々手が震えガチなんだよね」などと誤魔化してはいるが、それを言っている時ですら緊張して手が震えている。

けれどもやっぱりライブも同じで、観る側が手を上げてくれたり、一緒になって歌ってくれたり、笑顔で見てくれたりすると一気に緊張が解れ、安心して立てるようになった。
観られる事=怖い事だっただけの考えは、陸上とバンドを通して観られる事=楽しい事に変わっていった。

いずれは観客の助け関係なしに1人でも手の震えを抑えられる様にしたいが、とりあえず今はこれに甘えながらも、自分と同じように怖くなっている人の助けになれないかなと思いながら、自分が考える「良い観客」になろうとしている。

普段はこうした心意気をたまに夜通しで誰かと語ることで忘れないようにしているが、今は書く事で改めて再認識し、また毎回しっかりライブを見ている人にはちゃんと助けになっていますと感謝が伝わればなと。

 

                                                                                                                        匿名さん

歌詞と人生

※読んでも得しない無駄に長い文章です。夜に眠れなくて勢いで書いたものなので相当に暇を持て余していて「5分くらいは無駄な時間を過ごしてもいいか」と思える人向けです。

 

前置きとして。
あなたが音楽を聴く上での「歌詞」の重要性はどの程度のものだろうか?

 

歌詞よりメロディを重視している人、英詞の意味を理解することなく音楽を聴く人、クラシックやインストのようなそもそも歌詞のない音楽を聴く人も多いだろう(私もいくつかのインストバンドを好んで聴く)。

 

インストを聴いている時の着眼点になぞらえて考えさせてもらえば、恐らく上記の人たちは歌よりも歌の背後で鳴っている楽器演奏や曲調、または歌詞の内容を抜きにメロディだけを捉えた俗に言う「歌メロ」を楽しんでいるのだろう。

 

恐れながら私の趣向の話をさせていただくと、個人的には音楽を聴く上で最重要視しているのは歌詞である。

 

上記の通りインスト曲も好んで聴くし、ギターやベースを通じてバンド演奏を長らく続けさせてもらっている身として楽器の演奏も意識的に聴くことは多い。

 

しかし、「長年飽きずに聴き続けている音楽」に絞って考えるとき、個人的にはそのほとんどは歌詞を武器に、あるいは大きな魅力としていると評されるモノである。

 

私のことを知っている人の多くは「はいはい、またハヌマーン山田亮一とthe cabsの高橋國光の話ね」と思われるだろう。はい。そうです。度々すみません。

 

まあその2人に関しては勿論作詞の魅力は筆舌に尽くせないところではあるのだが、またまた私個人の話で言うとMr,Childrenなどもこの分類に入ると考えている。

 

UVERworldフジファブリック椎名林檎だったり、かなり方向性が変わってしまうがJPOPと称されるアーティスト(パッと浮かぶところでは槇原敬之やいきものががり、最近話題の髭男とかも?)達も、その歌詞の世界観に魅了された熱狂的ファンを多く抱えている印象だ。

 

幼い頃GReeeeNやFUNKY MONKEY BABIESの歌詞が大好きだった、という人も多くいるのではないだろうか。

 

この辺はまあなんというか、歌詞の重要性云々の前に「歌詞に強い魅力を持つアーティスト」の例の話で本筋とはあまり関係がない。UVERや他のアーティストなどであなたが歌詞に強い魅力を感じているアーティストがいたら、私がハヌマーンやcabsに強烈な魅力を感じているのも同じような感覚だと捉えていただければという与太話。

 

本題に関しまして。
歌詞と、人生。
なんとなく言いたいことが想像つく人もいるのではないだろうか。

 

簡単に結論から言うと、「生活を送る上で、または人生の節目で、なんとなく歌詞が想起されること、あるよね」ってだけの話です。

 

例えば私はタバコを吸うとき、高確率で カッコーの巣の上で/the cabs の「白い壁にもたれかかって、汚い息を吐いている」という一節を思い出す。

 

またどうしようもない気持ちで泥酔して電車で帰路に着くとき、ワンナイト・アルカホリック/ハヌマーン より「日暮れ路面電車に飛び乗って、現実逃避を図りまして 流れる景色を見るような、窓に映る自分を見るような」の一節が脳内で自然に再生されることが多い。

 

人と争ったり、後にそれを後悔した時、
「どうしたら優しくなれたと思う?」
キェルツェの螺旋/the cabs とか。

 

恐らくこのような生活と音楽が「リンクする」感覚、山田亮一の言葉を借りれば「現実MV化」を最も体験できる要素が歌詞にある、と私は考えている。

 

それ故に歌詞を自然に重視してしまうのかもしれない。だが、もしかしたらこのような想起を重ねることで自然と脳内リピートが増えることで自動的に前述のアーティストを好きになっているだけなのかもしれない。いや、そもそも想起は歌詞を重視して聴いてないと起こらないか?わからなくなってきた。

 

とりあえず、歌詞に強烈な魅力を感じてしまうアーティストが個人的には好きです。現実とリンクしたような、追体験という言葉が正しいかは分からないが、なんとなく一体化を感じられるから。それだけ。

 

あとは意味わからん歌詞を解釈することも好きですね。cabsとか、People In The Boxとか。抽象性を無くしていく。それで持って、前述のリンクのとこまで持ってけるようにする。

 

大体言いたいことはこれくらいです。こんだけ長々歌詞最高!的なこと言いながら、[Alexandros]とかワンオクの英詞を意味わからんままカッケー!って聴いてる時もあります。人間、そんなもんです。

 

鬱な時には、鬱な音楽。それがストレス解消に良いって脳科学的に証明されてるらしいですよ。受験とか就活、失恋を通じてsyrup16gとかcabsとかLyu:LyuとかNOVEMBERSにハマって音楽嗜好バグる人、結構いたりして。そんなことないか。

 

長々と時間を奪ってすみませんでした。

 

もしここまで読んでくれた人がいたらありがとうございます。


しこ


「自負心、自尊心、両肩にのせて 行ったり戻ったり 忙しい人へ」
ghost/踊ってばかりの国  を聴きながら

始めるにあたってつらつらと

 時は2020年、コロナウイルスの流行、未曽有のパンデミックによって新歓活動が難航。しばらくの間オンラインのみでの新歓を余儀なくされた。いい感じの企画はないものかと会議に会議を重ね、出てきたブログ執筆は読む人が限られすぎて広報にはあまり向かないと即却下。しかし筆者の妙に高ぶった書き手としての熱は行方をさまよい個人で勝手にやる企画として無理やり成立させた次第である。

 どうも、タケチです。この企画は適当に趣味、趣向で一筆したためる意欲のある暇を持て余しに持て余したサークル員のためのブログでございます。音楽、映画、本、アニメ、写真、料理にファッション、美術までなんでもござれ。いろんな人の好みが知れたらちょっとおもしろいななんて思った次第です。

 

追記

 二年ぶりに見たがやはりまいってしまっていたと思う。

 

 

 

                       

                                   タケチ