与太

軽音サークル員が好き勝手に書く連載

「良い観客」である為に

昔からとてもあがり症である。
小さい頃お母さんに花を摘んで帰った時ですら緊張で顔が真っ赤になって目の前がクラクラした事をよく覚えている。
また緊張したり、人に見られていることをちょっとでも意識してしまうと途端に手の震えが止まらなくなる。

それが更に加速したのは中学生からだ。
所謂中学生のグループみたいなものでしばらく共に行動してたちょい悪君に「チラ見すんな」といった理由でグループからハブられ、一緒にいるやつからは「お前って何も面白いこと言えないな」と冗談半分で言われたが、たしかにな…と重く受け止めとにかく自信がなくなり対人場面での不安が大きくなった。

入っていたサッカー部では自分のところで奪われて点を決められるなど、責められるのが怖くてパスしか出さなくなった。チーム内で練習する時も「こいつはパスしか出さないぞ」と意地悪なチームメイトに大声で言われて、楽々抜けるスペースを与えられながらもパスしか出せなかった次第である。

そんなこんなでチームプレイが苦手になってしまい、個人競技を望んで高校で陸上を始めた。サッカー部時代ただガムシャラに走っていただけのこともありタイムも悪くなく、練習はみんなと喋りながら学校から遠くまで小旅行気分で走ったりと気楽で楽しかった。だけど勿論そんな緩いことばかりではなく競技である以上大会があった。

1人きりで競技場に立つと400mのトラックを取り囲むようにチームメイトはもちろん、他校の生徒や先生、観客など沢山の人が自分を含む数人しかいないトラックを見ている事に気付き途端に緊張した。走り出した瞬間も「どうやって今まで走っていたっけ?」と思う程に手と足が自分のものじゃないような感覚に陥り、「ダメだ。こんなに観られる場所は俺には無理だ」とも考え始めた。

しかし応援とはすごいものである。トラックの四方にチームメイトが散って通り過ぎるたびに大声で応援してくれるのだが、それがかなり力になり緊張を解し、回数を重ねる毎にいつしか陸上で見られることは苦じゃなくなった。苦い記憶になりかけていたサッカーも陸上部で練習後に有志で集まって遊びでやり始め、パスだけじゃなく抜くようにもなり、楽しい記憶で上書きされた。

とは言え人はそう簡単に根本が変わるわけではない。勿論未だにとても緊張はする。人以上に人の事を意識してしまっているからだと分かってはいるが、ライブでも少しでも見られていると意識してしまうと手が震える。ライブ後に「めちゃくちゃ手が震えてたね」と言われても「元々手が震えガチなんだよね」などと誤魔化してはいるが、それを言っている時ですら緊張して手が震えている。

けれどもやっぱりライブも同じで、観る側が手を上げてくれたり、一緒になって歌ってくれたり、笑顔で見てくれたりすると一気に緊張が解れ、安心して立てるようになった。
観られる事=怖い事だっただけの考えは、陸上とバンドを通して観られる事=楽しい事に変わっていった。

いずれは観客の助け関係なしに1人でも手の震えを抑えられる様にしたいが、とりあえず今はこれに甘えながらも、自分と同じように怖くなっている人の助けになれないかなと思いながら、自分が考える「良い観客」になろうとしている。

普段はこうした心意気をたまに夜通しで誰かと語ることで忘れないようにしているが、今は書く事で改めて再認識し、また毎回しっかりライブを見ている人にはちゃんと助けになっていますと感謝が伝わればなと。

 

                                                                                                                        匿名さん